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ソラより高いシド(四戸)の危機的集落ガーデン

エリア  
古民家 
2017年5月昔のドローン
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歴史と地形の重なり:過去から未来へ繋ぐ「命の痕跡」

このあたりは、険しい地形と特殊な水環境が織りなす、数千年にわたる歴史のタイムカプセルです。

この地域の歴史を語る上で欠かせないのが、今から約2,200年前(弥生時代中期)の鷹の巣岩陰遺跡です。標高の高い崖の岩陰に位置するこの遺跡は、一度埋葬した遺骨を土器に入れ直す「再葬墓」という独特な風習を今に伝えています。さらに遡れば、約4,000年前(縄文時代後期)の芸術的なハート形土偶、下れば約1,400年前(古墳時代後期)の四戸古墳群など、各時代の重要遺構が狭い範囲に密集しています。

なぜ、これほど多様な時代の跡が残っているのか。その鍵は、数万年前から形成された「河岸段丘」と、この地特有の「」にあります。

温川」という名は、上流に温泉が湧き出しており、冬でも水温が下がりにくかったことから名付けられたと言われています。古代の人々にとって、冬に凍りつかない川は、どれほど心強い存在だったことでしょう。イワナやヤマメなどの魚が豊富に棲み、川沿いにはワサビなどの湿地植物も自生していました。

この地域を流れる吾妻川は、上流の草津白根山の影響で、古来より魚も棲めない強酸性の「死の川」でした。しかし、人々は日常の飲み水には適さないこの本流を避けるのではなく、巧みに利用しました。酸性の水は微生物を死滅させるため、川は底まで透き通って美しく、また病を治す「聖なる水」として畏怖の対象でもありました。人々は、吾妻川を信州(長野)へ抜けて貴重な黒曜石などを運ぶための「天然のハイウェイ」として活用したのです。

生活の拠点となったのは、吾妻川よりも一段高い河岸段丘の上でした。段丘の崖からは、地層で濾過された清らかな「湧き水」が豊富に噴き出していました。水害の心配がなく、飲み水や農業用水が確保でき、さらには見晴らしも良い。この「湧き水が出る段丘」という条件が揃っていたからこそ、縄文から戦国時代の岩櫃城に至るまで、人々は絶えることなくこの地に住み続けました。

 

かつて古代人が「理想の居住地」として選んだ場所が、現代では限界集落(50%以上が65歳以上)から、さらに深刻な危機的集落(維持が困難な状態)へと進んでいるのには、歴史的・地理的な背景が皮肉な形で影響しています。

主な理由は、

. 「河岸段丘」が現代の生活動線と合わなくなった

古代には「水害を避け、見晴らしが良い」という利点だった段丘地形が、現代では「高低差による孤立」を生む要因になっています。

 産業構造の変化と「水」の役割の終焉

かつては湧き水を利用した小規模な農業や、山林資源(炭焼きや養蚕)で自給自足に近い暮らしが可能でした。

歴史の皮肉

鷹の巣遺跡の弥生人も、四戸古墳群を造った有力者も、「ここが一番豊かで安全だ」と考えてこの地を選びました。しかし、車社会・デジタル社会・大規模農業という「現代のルール」に照らし合わせると、その地形こそが、皮乳にも集落を存続の危機に追い込んでいるのです。

 

未来へ残す「生きた痕跡」

集落が消滅の危機にある今、人間がこの地で生きた証を、コンクリートや文字ではなく「豊かな生態系」として残すため「ランの花咲く雑木のガーデン」づくりに挑戦します。

コナラやアカマツを植え、菌根菌を育てることは、土壌の中に広大な情報のネットワークを再構築することを意味します。日本の野生ランは、この菌根菌の助けなしには発芽も成長もできません。

歴史のバトンを継ぐ

強酸性の水に寄り添い、段丘の湧き水に命を繋いだ先人たちの知恵。その記憶が詰まった土地に、新しい「種」を蒔こうとしています。 たとえ人の姿が消えたとしても、植えたコナラの根元でランが咲き続けるなら、そこには確かに「人の慈しみ」が存在した証拠が残り続けます。それは、ハート形土偶を埋めた縄文人の願いとも通じる、時空を超えた祈りのかたちです。

未来への風景

建物や記録は風化しますが、土の中に張り巡らされた菌根菌の繋がりと、それに応えて咲くランの種子は、世代を超えて受け継がれます。 これから作るガーデンは、「消滅の悲しみ」を「再生の喜び」へと転換させる、最も美しい「生きた痕跡」となります。 数百年後の春、名前も知らない誰かが、森の中に咲き乱れるランの花を見て「かつてここには、花を愛し、未来を信じた人がいたのだ」と、夢に触れる瞬間がやってくるでしょう。







名称 時代 およその年代
河岸段丘の形成 更新世(氷河時代) 約10万年前~
ハート形土偶 縄文時代後期 約4,000年前
岩櫃山鷹の巣遺跡 弥生時代中期 約2,000年前
四戸古墳群 古墳時代後期 約1,400年前
岩櫃城 戦国時代 約500年前